2015年7月16日木曜日

Q:室内トイレはいつできたの? トイレの歴史(1)


2回に渡りバスルームの歴史をみてきましたが、今回からトイレについて書いてみたいと思います。


新石器時代にトイレ?

 

スコットランド沖にあるオークリー諸島には、スカラブレイ(Skara Brae)という新石器時代の集落遺跡があります。紀元前3千年ぐらいにできた集落には、排水システムがみられ、屋内トイレがあったのではないかと推測されています。

 

Skara Brae(public domain)
 

世界の古代トイレ

以前にも述べましたが、紀元前2600年から1900年に繁栄したインダス文明のモヘンジョ=ダロの遺跡は、家々が排水施設が整っていた事を示しており、各家にトイレも備わっていました。しゃがんでするトイレがある家も、座ってする洋式のトイレがある家もありました。壁に穴があいており、そこからより低いところにある下水路へ汚物が重力で流れ、共有の汚水槽へ行く様にできていました。


ミノア文明のクノッソス宮殿(紀元前1900年頃に建築、紀元前1700年頃に改築)の女王のバスルームには、トイレがありました。これはただのトイレではなく、おそらく世界初の水洗トイレでした。木製のシートに土器製の便器、そして土器製のパイプで水が送られてきて、汚物は下水へと流し去りました。この水は雨水を貯めたものだったようです。

 

メソポタミアの古代都市バビロンには、屋外トイレがあったようです。とはいっても、地面に穴が開いているだけで、下には汚水槽がありました。

 

同じメソポタミアのマリのサラゴン二世の宮廷には、屋内に洋式トイレがありました。汚水槽の上に座るところがあり、トイレの脇には水差しか柄杓付きの土の入った入れ物があり、用が済むと、それを中に入れました。




古代ローマのトイレ

 

古代ローマにも公共トイレがありました。シートは石でできており、その横には塩水又は酢がはいったバケツがおいてあり、その中にはスポンジが先についた棒がはいっていました。人々はこのスポンジでおしりをふき、次の人の為にまたバケツの中に戻しました。通常ひとつの部屋にいくつものシートがあり、人々はおしゃべりをしながら用を足しました。

 

Ancient Roman Latline (public domain)
 

個人の家にも汲取式トイレがあったようです。通常それはキッチンの隣にあり、生ごみもそこに流していたようです



イギリスにもたらされた古代ローマのトイレ

 

公共トイレはローマ軍がイギリスに駐屯していた時期にイギリスにもたらされます。イギリス北部にあるハドリアヌスの長城(Hadrians Wall)にはその跡が残っています。一人用のものはなく、何人かが座れる木製のシートがあり、雨水を貯めて流しました。

 

 

昔のお城のトイレ

 

1066年にノルマン人がイングランドを征服すると、城郭にgarderobesと呼ばれるトイレが作られました。これはフランス語のgarder(保存する)と英語のrobe(衣服)が合わさって出来た言葉で、つまり「衣服を保存する小部屋」という意味です。一説によると、糞尿の香りで蛾やノミが近寄らないのでトイレに衣服をかけておいたそうです。

 

このトイレの下には通常川やお堀がありました。その水はかなり臭かったでしょうから、誰もお堀を泳いで渡ろうとは思わなかったと思いきや、実際にお堀を泳いで、このトイレの下からお城を攻めたケースもあったそうです。このリスクを減らす為に、トイレの穴の入り口には鉄の格子がはめてありました。

 

Garderobe, Peveril Castle, Derbyshire (public domain)
 

川やお堀がない場合は汚水槽があり、「gongfermor」と呼ばれる人が夜洗浄、収集に来ました。裕福な人々の排泄物は農夫達が買い取り、肥料として使いました。



その穴は小便器

 

ヘンリー二世(11541189)は、ドーバー城(Dover Castle)に、ベッドルーム続きのgarderobeを作らせました。中世の貴族には、「groom of the stool」と呼ばれる主人のおしりふき係の高位の使用人がいました。プライベートな部分ですから、かなり信用のできる人間でなくてはいけなかったのでしょうね。同じくヘンリー二世のオルフォード城(Orford Castle)の責任者の個室には、厚い石の壁に穴のあいた小便器がありました。

 

似たような小便器は、イーリー大聖堂が修道院だった時代にできたゲートハウス(ポルタ)にも見られます。現在はパブリックスクールの図書館になっており、私が訪れた時には、昔の人が用を足したであろう場所にも、本がつまっていました。ここで放たれた水分は建物の外に出るようになっていますが、その放出口がアーチのななめ上にあるので、知らずに通った人が、期せずして黄色いシャワーを浴びることもあったのではないかと想像します。

 

14世紀に建てられたポルタ

ここから小水が降ってきていた

内部からみた小便器。本の間から外に続く穴が見える。

 

修道院のトイレ

 

中世の修道院にはトイレがあり、古くなった衣服を破いて、トイレットペーパーの様に使用しました。修道院ではトイレの事をnecessariumと呼びました。これはラテン語で「the necessary room(必要な部屋)」という意味です。Muchelney Abbeyには、「reredorter (共同寝室の裏)」と呼ばれる汲取式トイレがまだ残っています。ここではトイレとトイレの間に仕切りがありました。

 

 

16世紀のトイレ

 

ヘンリー八世(在位15091547)の時代になると、皇族は「closestool」と呼ばれる箱形の便器を使いました。実際にヘンリー八世が使っていたものは、外は黒いベルベット貼りで、蓋をあけると、やはり黒いベルベットで覆われたクッションがありました。そのクッションの中身は白鳥の綿毛でした。真ん中には穴があいており、その下には便尿器がいれてありました。この便器がおいてある部屋にはドアが二つあり、一つは寝室へつながっており、もう一つは使用人が中身を処理する為に外につながっていました。この作りを利用して、王族が愛人を忍び込ませました。

 


 

 

お城の共同トイレ

 

宮廷に住む高位の使用人も自分の部屋で用を足しましたが、通常洗面器のような便尿器「chamber pot」(おまる)を使用していました。位の低い使用人は宮廷の庭にある共同トイレを使いました。

 

19世紀の家にあったセット。上に洗面用のボウルが、下におまるがおいてある

ハンプトンコートには一度に14人が座れるトイレがあり「Common Jake」又は「Great House of Easement」と呼ばれました。この下には水槽があり、お堀の水で流されました。この水槽も王の一行が4週間も滞在していると頭の上までくるぐらい一杯になるので、「gong scourer(トイレ磨き屋)」が掃除しなければいけなかったそうです。

 

 

いつでもどこでも

 

そうはいっても、何百人いる召使いに対してトイレの数が少なすぎたので、人々はいつでもどこでも用を足していたようです。1589年には、宮廷に次のような警告文が張りだされました。「Let no one, whoever he may be, before, at, or after meals, early or late, foul the staircase, corridors, or closets with urine or other filth.(何者であろうと、食事中やその前後に関わらず、朝晩に関わらず、階段、廊下、小部屋を小便またはその他の汚物で汚すべからず。)」

 

それでもなかなか習慣は治らなかった様です。チャールズ二世(16301685)一行がオックスフォードを占領した時のことが、記録に残っています。「Though they were neat and gay in their apparel, yet they were very nasty and beastly, leaving at their departure their excrements in every corner, in chimneys, studies, coalhouses, and cellars.(きらびやかに着飾って身だしなみを整えているけれど、実際はとっても不快で獣のようだ。彼らが去った後には煙突、書斎、石炭貯蔵小屋、地下室、ありとあらゆる所に糞尿が残されていた。)」

 

 

普通の人のトイレは?

 

では普通の人達はどうしていたのでしょう。家では「chamber pot」を使用していました。安いものは銅や陶器でできており、お高いものになると純銀でできていたものもありました。ベッドルームにはもちろん、ダイニングルームにもおいてありました。これは特に男性のためです。友人との食事の後、女性陣は上階のパーラーに行き、お茶を飲んでゴシップに花を咲かせましたが、男性陣はダイニングルームに残り、お酒を飲んでいたからです。今の感覚では考えられませんが、飲みながら用を足していたこともよくあったようです。

 

ダイニングルームにおかれたおまる


15世紀の公衆トイレ

 

外出する場合は、行ける時には公衆便所に行きました。15世紀にはロンドンだけで13の公衆便所がありました。Greenwich Streetにあったものは、なんと84ものシートがあったそうです。潮が満るとテムズ川に自然に流される様になっていました。さて、「行ける時には」と書きましたが、結構その辺ですませる人も多かったようです。

 

トイレの話は誰でも興味ある領域のようで、結構資料があり、一回ではとても書ききれないので、今回はここまでにします。また次回をお楽しみに!

 

 

―――

 

<参考文献>

 

Binggeli, Corky, 2003, Building Systems for Interior Designers (John Wiley and Sons, Inc.)

Colman, Penny, Toilets, Bathtubs, Sinks, And Sewers: A History of the Bathroom (Amazon Media, 2011)

Khan, Saifullah, Sanitation and Wastewater Technologies in Harappa/Indus Valley Civilization (ca. 2600-1900BC)’, Evolution of Sanitation and Wastewater Technologies Through the Centuries (IWA Publishing)

Newman, Paul B., 2018, Daily Life in the Middle Ages (McFarland)

Robertson, Geoffrey, 2006, The Tyrannicide Brief: The Story of the Man who sent Charles I to the Scaffold (Random House)

Southern, Patricia, 2016, Hadrian’s Wall: Everyday Life on a Roman Frontier (Amberley Publishing)

Wald, C. ‘The secret history of ancient toilet’, Nature 533, 456–458 (2016)

Worsley, Lucy, 2011, If Walls Could Talk: An Intimate History of the House (Faber)

Wright, Lawrence, 1963, Clean and Decent: The History of the Bathroom and the W.C. (Routledge & Kegan Paul)

 

English Heritage website

The Independent紙 website


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